第107話 |
わらべ学童が、このたび25周年を迎えました。
歴代保護者の皆さん、Reunionの皆さん、そして現役の皆さん、関わられた全ての指導員の皆さん、本当におめでとうございます。
20歳まで過ごした郷里の長崎を離れ、いつの間にか大阪=わらべ学童での生活がその月日を超え、公園で地域の子に「お兄ちゃん」と呼ばれていたのが、「おっちゃん」になり、ようやくそれをフツーに受け入れることができるようになりました。(笑)
40歳頃から教え子たちが次々に結婚し、その教え子に赤ちゃん(教え孫?)が誕生し、気分的には「おっちゃん」を通り越して、「おじいちゃん」になる事もしばしばです。
早20代で「定年退職宣言」をした私ではありましたが、郷里の母親の健康を心配し、自分の血圧やコレステロール値を気にかけ、肩こりや腰痛のケアを心がけるようになりました。
しかし、体の衰えを痛感しながら、不思議と心は衰えるどころか、メラメラと燃えているのを感じます。
私の反抗心は、日々「負けてたまるか!」と、叫んでいます。
およそ行政が責任を果たしているとは言い難い貧しい制度に対して、子どもでさえ金儲けの対象とし、弱い者いじめがはびこり、その狭間では虐待が横行するそんな世の中に対して、訳知り顔に語る傲慢さや命の重さを軽んじる全てのものに対しても、「負けてたまるか!」と叫び続けています。
きっと、この「負けてたまるか!」が、私を前に進めるエネルギーなのでしょう。
ですから、教え子たちが、世の中の荒波にもまれて奮闘している姿や、青春を謳歌している姿を見ても「負けてたまるか!」で、現役の子ども達が、発達の節目を迎えて葛藤し、伸びやかな成長を感じさせ、生命を輝かせている姿を見ても「負けてたまるか!」なのです。(笑)
別に攻撃的であったり、好戦的なつもりなのではなく、自らを奮い立たせ、前へ前へと進むために・・・。
わらべ学童は、雑草のようなしぶとさで、数々の苦境をくぐり抜け、25周年の今を迎えました。
それ自体は意思を持たず、力もなく、どうにでもなりそうなか弱い組織にも関わらず、25年あり続けています。
真剣に関わって下さった皆さんの、拳を握り、歯を食いしばり、「負けてたまるか!」と叫び続けた姿が、現在の姿に重なります。
私がリスペクトしてやまないのは、時に「どうしてそこまで・・・」と思うほどの、たゆまぬ努力と、その源・・・子ども達の放課後を守るための「負けてたまるか!」なのです。
「さるせん」のルーツが、このわらべ学童のスピリットにあることは、私の誇りです。
親子で営む「子育て」という真剣勝負に、第三者が指導員として関わる「学童保育」というスタイルは、核家族化や少子化という背景からも、時代が後押ししてくるだろうと考えています。
そう確信できるのは、本物の「子どもの健全な育ち」を、世の中が求めているからに他なりません。
「子どもの健全な育ち」とは、「大人に都合の良い育ち」とイコールであるとは限りませんが、大人が悪知恵を絞ったり詭弁を弄したりしても、子どものストレートな眼差しはシンプルに真相を見抜き、それに呼応して敏感に反応を返してくるはずです
。だって、子どもは「大人の鏡」なのですから・・・。
そんな子ども達の心に寄り添いながら、その思いを大切にしながら、良い事は良く悪い事は悪いと伝えながら、それをないがしろにする全てに対して、「負けてたまるか!」と抵抗し続ける毎日は、これからも続きます。
by.Sarusen