第62話 |
先日、夫婦で夕食をと、近所の食堂へ出かけました。
店内に入ると同時に、私も家内も、食事中のある家族にふと目が行きました。
お父さん・お母さん、1年生くらいの妹、3年生くらいのお兄ちゃんの4人家族なのですが、お兄ちゃんが一人、暗い表情を浮かべ家族から離れるように座っていることに違和感を覚えたのです。
どうやら、そのお兄ちゃんがお家の中で、重大な過ちを犯したことは容易に想像がつき、そのことでご両親から厳しく注意されているようでした。
しかし、家庭内でさえ難しいであろう内容にもかかわらず、見ず知らずの人も一緒に食事をする空間の中で、加えて夕食の最中にきちんとした話ができるものなのか・・・イケない事とは思いながらも気になって、ついつい耳がそちらに向いてしまいました。
頑としてやったことを認めないお兄ちゃんに、お父さんもお母さんもイライラし始め、「嘘つきな!あんたがやったことは分かってんねん!」「嘘つけば誰も味方はおらん!」等々、だんだん警察の尋問を思わせる口調になっていきました。でもお兄ちゃんは、「やってないって言うてるやん!」と、絶対に折れず、重苦しい押し問答が続きました。
その時、ふと思ったのは、もしお兄ちゃんが「私がやりました・・・」と自白(?)したら、ご両親はどうされるのだろう・・・ということでした。
「お前、よく正直に話したね」「えらかったね」と、評価されるのでしょうか?
答えは多分・・・もちろん無責任な憶測にすぎませんが、さらに厳しい説教の時間が続いたような気がしてなりません。
子どもの場合、嘘は「つく」ものではなく、「つかせてしまう」ものではないかと思うことがあります。
そしてまた大人も、「子どもに対して常に誠実なのか?」と自問自答するとき、グレイゾーンがあり、「嘘をついたことのない大人だけ、嘘をついてしまった子どもを責めてよい」と言われたら、子どもの間違いを責めることができなくなってしまう・・・そんなことってないでしょうか。
だからと言って、事と次第によっては、厳しい注意も必要な時があるでしょうし、厳しい対応が悪いとは思いません。
でも、その子がドキッとして、ついてしまった嘘を反省するのなら、だまされることも必要なのかもしれません。
正しい事をした時に信用するのは容易くても、間違いを犯してもなお信用するのは至難の業です。
でもそれが、「本当に信用する」ということなのかもしれませんし、その「本当の信用」が、過ちを正すチャンスを与えることになるなら、その度量を問われているのは大人の側だということになるのではないか・・・と思うのです。
by.Sarusen