大阪市鶴見区わらべ学童

指導員つれづれ
第92話
つもり違い

「格言って、深いなぁ・・・」そんな思いで本を読んでいると、良い格言を見つけました。

“高いつもりで低いのは 教養
低いつもりで高いのは 気位
深いつもりで浅いのは 知識
浅いつもりで深いのは 欲
厚いつもりで薄いのは 人情
薄いつもりで厚いのは 面の皮
強いつもりで弱いのは 根性
弱いつもりで強いのは 我
多いつもりで少ないのは 分別
少ないつもりで多いのは 無駄
長いようで短いのは 一生”

「つもり違い11ヵ条」と名付けられた、作者不詳の言葉遊びですが、何やら心にするりと入り込む、真実を突いた言葉だと感じました。

人は誰でもそれぞれが少しずつ「的外れ」で、逆にそれが「個性」だったり「愛嬌」だったりします。

人の倍くらい的外れだと、「天然キャラ」や「KY」等と言われるようになり、若干評価が分かれてきますが、それでも誰もが自分のことを「いたって普通」だと思いながら、「少しずつ的外れ」に生活しているものではないでしょうか。

上記の11カ条は、「そこをまず自覚しようよ」と諭しているように思えてなりません。

「それは悪い事だから直していきなさい」ではなく、「自覚した上で、どう生きるか考えてみよう」という問いかけのように感じるのは、私だけでしょうか。

子どもたちは、私たち大人以上に的外れですが、それはいたって普通の事です。

ある日、学童の電話が鳴りました。

1年生のお母さんからで、その内容は、お子さんが「近所のお墓に入り込み、知らない人のお墓をせっせと洗って、ろうそくを灯し、お線香をあげてお参りしていた・・・それを聞いて恥ずかしくなって、かなり怒ったが、学校からも呼び出され、これから謝りに行く」というものでした。

火遊びは、絶対許してはいけません。

でもその事以外、何が責められるべきなのか、一瞬わかりませんでした。

だってその子は、「知らなかっただけ」だからです。

お墓はなんのためにあるのか、それはどういう場所なのか、そこにお参りする人々はどんな気持ちなのか・・・でもその子は、たぶん「やってみたかった」のです。

何を思って、その寒い日にかじかむ小さな手でお墓を洗い、お参りするなんて、どうして考えついたのかは謎のままですが、きっと「やってみたかった」のです。

「きっと神様もお墓の中の方も大爆笑したでしょうね。お母さん自身が恥ずかしく思って、怒ってしまった気持はよくわかりますが、知らなかっただけで、お子さんはやっぱり悪くないですよ。火遊びだけ厳重に注意されたらどうでしょうか?」と話すと、「そうですね〜。子どもって本当に想像もつかないことしますね。」と、お母さんも電話の向こうで笑顔になられた様子。

「しっかり怒られてきます!」と、明るく電話は切れました。

お寺の住職さんも、火遊びをとがめられただけだったようです。

子ども達の頭の中には、つもり違いどころか、宇宙が広がっている事を感じました。(笑)

by.Sarusen


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