大阪市鶴見区わらべ学童

指導員つれづれ
第94話
思い出 ―卒所に寄せて―

卒所旅行が終わり、卒所生が学童を巣立つまでの、カウントダウンが続いています。

今回は姫路セントラルパークへ行ったのですが、そこで大変貴重な経験をさせていただきました。

昼食後に、参加した子ども達のテンションが、ぐぐっと上がるようなアトラクションはないものかと周囲を眺めていたところ、ふと目に付いたのが宝石探しのアトラクションでした。

砂や小石が詰まった袋を買って、“ふるい”に入れて水路に浸し、そっと揺すると中からアメジストやトパーズ等の宝石が出てくる・・・というものです。

あるメッセージを伝えたくて、「全員でやらへん?」と働きかけたところ、それぞれが必死になって宝石を探し、「うお〜!なんかデカいの出てきたっっ!」と大興奮して、係の人を離さない勢いになって、「これ何?」「これなんの石!?」と聞きまくり、太陽にかざしてみては、「すげ〜!」「めっちゃきれ〜い♪」と、その輝きにうっとりする・・・そんな楽しい時間を過ごすことができました。

今回の旅行の目的は、「思い出をたくさん作る!」でした。

この「思い出」に、何かしら簡単に手に入ると思っているような雰囲気を感じ、引っ掛かりを覚えていた私は、夜のミーティングで子どもたちに話しをしました。

「今日の宝石探し楽しかった? 実はさるせん、みんなに伝えたいことがあって、全員にやってもらいました。あの砂袋、あれはみんなの経験とか記憶やと思うねん。そして“ふるい”はみんなの脳や心やと思ってん。 そして、目の前の水路には時間が流れてんねん。」

数時間前の体験から、みんな容易に想像ができ、頷きながら聞いてくれました。

「これから大人になって時が来たら、みんな子どもの頃や若い時にためた砂袋を一つずつ“ふるい”にかけて、中から“思い出”という名前の“宝石”を取り出すようになんねん。そん時、人によっては、たくさんの経験や記憶を持ってて、何回も何回も“ふるい”にかけて、たくさんの大きな宝石を取り出してうっとりできるねんけど、経験や記憶が少ないと一瞬で終わって、めっちゃ少ない思い出しか残らへんのちゃうかって思うねん。そういう人は、その時は袋の中身が何かわからへんし、たくさん集める事ができなかってんな。みんなは、たくさんの砂袋をためていってほしい。何がいい思い出になるかは、さるせんにも今はわからへんよ。でも、たくさんを砂袋ためておいた方がいい事はわかってる。 大人やからね。いい思い出は、今すぐに手に入るような簡単なもんじゃないと思うねん。でもわからないからこそ、たくさんの砂袋がいるんちゃうかな? いい思い出は、みんなが将来手にすることができる大切な宝石なんやで。今、いい思い出だけ集めるなんて、できないんちゃうかな?」

私の父は、子育てをほぼ母に任せて、仕事の方を頑張る、当時はどこにでもいたような父でした。

何か特別なことを、私にしてくれたわけでもないと思っていました。

そんな父が亡くなり、私も砂袋を開けて“ふるい”にかけ、思い出を取り出す作業をするようになりました。

見るとそこには、今まで気づかなかったのに、たくさんの砂袋が積んでありました。

無理やりだったり強引だったり、私が好むと好まざるとにかかわらず、ひたすら砂袋を積まされたように思った事もありました。

ごく普通の父ですから、何か意図があって砂袋を集めさせたわけでもなく、特に「経験は宝」などと、直接私に教えてくれることもありませんでした。

ただ先頭に立って、その時は中身が何かさえ分からない砂袋を、私たち家族の中にひたすら、そしてさりげなく積んでいってくれていたことに、ようやく気付かされました。

その中から取り出した、抱えきれないほどの思い出は、私にとってかけがえのないものになっていきました。

人は誰でも、いい思い出だけを残すことはできません。

何がいい思い出になるのか、わからないからこそ、たくさんの経験や記憶を積み重ねていくしかないのではないでしょうか。

やってみることもなく、面倒くさがったり、好き嫌いや選り好みをしていては、狭い範囲でしか経験や記憶を積めなくなってしまいます。

またその中身は、“ふるい”にかけた時のお楽しみ・・・なのですが、中の宝石をこっそり増やすことや、すり替えることは、自ら経験を「誇張」したり「否定」したりする事になり、いつの間にか、「本物」とは呼べない代物になってしまうことでしょう。

良いのか悪いのか、有益なのか無益なのか・・・それを決めるのは、今ではなく、将来の自分自身・・・そう、子ども自身なのです。

何でも“早くて簡単”で、お手軽さがもてはやされるインスタント志向が強い時代にあって、「深い友情を育む」ことも「色あせない思い出を作る」ことも、「本物」を目指せば、回り道や足踏みの多い、時間のかかる作業です。

何に値打ちがあるのかと、選択に悩む場面も多いと思います。

特に「思い出」は、「経験」や「体験」、「記憶」や「記録」とは別のもので、それは、多くの「経験」や「体験」たくさんの「記憶」や「記録」の中に、埋もれてなお輝く素敵な宝石である事を、今回の卒所旅行を通じて実感しました。

そしてこれから、「深い友情」の一部として、そんな「思い出」は仲間と共有され、さらに輝きを増すことでしょう。

私達指導員は、卒所生たちの中に、まだまだわずかですが、いくつかの砂袋を積んだつもりです。

これから進む歩みの先には、もっとたくさんの砂袋を得るチャンスが待っている事と思います。

卒所生達が、親御さんのお力添えの中、数多くの砂袋を集めて行ってくれることを心から願っています。

by.Sarusen


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