大阪市鶴見区わらべ学童

指導員つれづれ
第96話
受け継ぐもの

卒所生の中に、秘密基地作りで中心になった3名の男の子がいました。

発端は、映画「20世紀少年」・・・TV上映に触発されているであろう彼らに、私の子ども時代の話も聞かせ、予定地として学童の裏の広さ2畳足らずの場所を提供すると、なぜか彼らは嬉々として穴を掘り始めました。

聞くと「地下基地を作りたい」との事。

連日残暑の中で、汗だくになって土や石を運び出している彼らを前に悩みましたが、安全性などを考慮し、50センチ程掘った所でストップをかけました。

それから、お隣の工務店さんや近所の工場、粗大ごみ置き場から頂いた、彼ら曰く「基地の材料」が毎日集められ、少しずつ彼らの「夢の基地」が形になっていきました。

彼らにアゴで使われ、嫌気がさした子が離れては、「なんやねん・・・俺らだけやんか」と、身勝手にクサリもしました。

都合よく下の子を動かす彼らに、下の子の気持ちを考えるよう求めたこともありました。

メンバーについた名前「Wild Boys Association」のステッカーを製作して頂き、それを販売して資金を作ってはホームセンターで材料を買い、切ったり付けたり、はずしたりを繰り返しながら、目標だった3階建て(?)を実現しました。

次の目標は、倉庫の屋根に4階部分を作ること・・・まのっちゃんが、「いつになったら完成すんの?」と聞いたところ、「この基地に完成はないねん!」と、格好の良いセリフが返ってきたと言います。

「俺らができひんかったことを、下の子達が続けて作っていったらええ。やから完成はせぇへんねん」ひとつひとつ夢を形にしながら、進化し続ける・・・これには思わず唸ってしまいました。(笑)

新1年生を迎えて、にぎやか過ぎる室内を「基地行ってくるわ・・・」と時々離れ、仲間と、空間と時間を共有してきました。

「卒業の記念にベンチが作りたい!」と、卒所式の間際に言い出して作っていましたが、その座面の裏には、20回生卒所記念の文字と3名の名前がありました。

気をつけて見ると、さらに基地のいたるところに、汚い字で「わらべサイコー!」そして自分達の名前やあだ名が書いてありました。

人一倍不器用な彼らの、精一杯の表現に、思わず切なさがあふれました。

ある日、5年生の男の子達がしでかしたことが発端で、「基地を片付けなさい!あんた達に基地を使う資格はない!もう基地には行くな!」と、こっぴどく叱られ、せっかく作ってきた基地は存亡の危機に立たされました。

その後の話し合いは2時間に及びましたが、その中で、「そんなん納得いかん・・・」と絞り出すように言い、「でも・・・注意でけへんかった、俺らにも責任がある・・・」と下の子に話した子。

「俺達が二十歳になっても、基地は残っててほしいと思ってる・・・」と、涙ぐんだ子。

「しょうもないことで、基地がなくなるのは嫌や・・・やる時はちゃんとやってほしい」と語った子。

それを聞いて、自分達がしでかした事の大きさや、卒所していく3名に対する申し訳なさ・・・下の子達は泣きながら謝罪と約束を口にしました。

彼らは体が大きくなると共に、その影響力も、やらかす悪さも段々大きくなりました。

信用しては裏切られ、また信用してはひっくり返される・・・そんな毎日でしたが、「保育」はきれい事ではないんだと教えられ、私自身が鍛えられた部分もあるような気がします。

入学式の次の日、また学童に集まった彼らは、基地の入り口にかける「表札」を、自分のお小遣いから買ってきて作り、嬉しそうにそっと飾っていました。

これもまた、時に憎たらしくもなった彼らの持つ、一面でもあるのです。

彼らの良い面だけを受け継いでほしいと思うのは、指導員のエゴかもしれません。

しかし、学童で6年間、濃厚な時間を過ごした彼らから受け継ぐものは、悪い面だけであるはずはないとも信じています。


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