指導員つれづれ

★第126話「真」と「贋」は一見に如かず★


出口の見えないコロナ渦。
いつ学校が始まるのか、友達と元のように過ごせるのはいつになるのか・・・。
子ども達の「声なき声」が、聞こえてくるような今日この頃です。


私も、長らく「わらべ学童」と関わってきましたが、このような「困難期」の経験はありません。
きっと大人が大きく動揺している姿を見せてしまったのでしょう。
子ども達にも、言いようのない不安感が広がってきているように見えます。
遅れがちな政策や政治家の物言い等、イライラの種は尽きません。
困難に炙り出されて、「真物」か「贋物」か、その本質がだんだんと透けて見えてきました。


大きな地震が起こった時、善意を持ち寄るボランティアの素晴らしさの陰で、濡れ手に粟とばかりに、復興基金を不正に手にする輩もいました。
今回もそうですね。
マスクがなくなったかと思えば、「転売ヤー」なる者たちが暗躍し、トイレットペーパー不足を煽ったのはデマでした。
そちらに目をやると、誰でも腹が立つし、憤るし、お先真っ暗になってしまいます。
「贋物」から目をそらせという事ではありませんが、「真物」を多く目にしているうちに、だんだんとそちらは気にならなくなっていくことはないでしょうか?


愚痴をこぼせば切りがないほど、「現場丸投げ」状態の、学童保育の現状ではありますが、元々、医療従事者、教員、介護や福祉職員、保育士の割合が非常に高く、閉めることができない事情を抱えた現場なのです。
その現場を、どうにかこうにか保てている理由の一つに、贋物とは真逆の「真心」の「支え合い」があります。
上司に掛け合い、消毒液を定期的に届けて下さる親御さんや友人たち。
「子ども達に食べさせて!!」と、食材を大量に送って下さる支援者の方や団体の方。
連日長時間勤務が続く職員へも、差し入れや栄養ドリンクが届けられました。
そして何よりも、「先生たち大丈夫?」と気遣いの声や、「頑張ろうね!」と励ましの声のありがたさ。


気合と根性では、どうにもならない厳しい状況の中で、「真心」に支えられている部分のなんと大きいことでしょう。
「わらべ学童」を支えるのは、今も昔も変わらず「愛情」なんだと、思い知らされている気がします。
私は、「子どもも親も、職員も守りたい!」と願っています。
私一人がいくら頑張っても、やり切れるものではありませんが、皆さんが支えて下さっている事を、とても心強く感じています。
このポジティブなエネルギーで、コロナを乗り切っていきたいと考えています。
評論家のように大いに議論して頂くのは結構ですが、現場は待ってはくれません。
怒りの捌け口を探して、ネガティブなエネルギーをまき散らすより、乗り切ること一点に集中した方が良さそうな気がします。


子ども達、元気ですよ。
給食の時は、積極的におかわわりをし、モリモリご飯を食べています。
室内では、折り紙を折りまくり、絵を描きまくり、割りばし鉄砲を撃ちまくっています。(笑)
その姿は、「オレ(アタシ)たち今日も元気に生きてるぞ!一緒に頑張ろうな!」という大人たちへのメッセージにも聞こえます。
「元の生活」がどうだったのか、忘れるぐらい長い「自粛生活」です。
今しかできない過ごし方を、元気な子ども達と編み出しながら、一日一日大らかに、乗り切っていきたいものです。
私は、この「困難期」を通して、わらべ学童がますます好きになったかもしれません。
たくさんの「愛情」に感謝します。

by Sarusen

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