指導員つれづれ

★第127話 誰かの役に立つということは・・・。 ★


毎日毎日、新型コロナウイルスの感染者が増え続ける状況、医療現場の逼迫していく様を伝える報道に、胸が苦しくなるような毎日です。

再び緊急事態宣言が出され、大人たちの生活も、大きく様変わりを求められている影響が、子ども達に出始めているというようなことはないだろうかと、私たちは、日々関わる子ども達とのやり取りの中から汲み取ろうとしています。

コロナ禍の厳しさが一段と強まる中、露見してきたものの一つに、私たちの「利己的な姿」があるように思えてなりません。

報道の中には、「コロナ自粛の中、若者たちが集まってこんなことをしていた」「軽症者が滞在中のホテルを抜け出した」などという、観ている人を「なんて勝手なんだ!」「自分さえ良ければいいのか!」と憤らせる内容のものもあり、感じる息苦しさに拍車をかけている気もします。

しかし、見えないウイルスが相手なだけに、また情報が氾濫しているが故に、完全完璧な対策がとてもしづらい状況ですから、自分自身も何かしら「非常識」であったり「的外れ」であったりする可能性もあるのに、他者の利己的な行動を必要以上に批判する事もまた、閉塞感によるストレスを発散しようとする利己的な行動に他ならない・・・という事はないでしょうか。


そんな中で先月から、卒所旅行の準備が始まりました。

6年生にとっては、学童生活最後のイベントです。

様々な思いを胸に、最後の最後まで、しっかり思い出を作ろうと、全力で取り組んできた歴史があります。

今回、例年と大きく違うのは、「実施が当たり前」の準備ではなく、「行けるかどうかわからない」けど準備しておくという所です。

9名の6年生を中心に、「行けるかどうかわからない」のに準備をしていくのは、ほんとに苦しいことです。

「こんなことできたら楽しいやんな」という発言の背後に、常に「行けるかどうかわからない」が張りついている感じなのです。

「もうすぐ準備終わるで~」という晴れやかな解放感の横に、「行けるかどうかわからない」という不安感が、じっと居座っているのです。

そんな中、主体者である6年生だって、ずっと全力で頑張り続けるほど強くありません。

見るからにモチベーションは、上がったり下がったり・・・。

中心になって頑張る子も、「今日は宿題するわ」「今日は公園行こう」となります。

職員も「今は準備頑張った方がええんちゃうか?」なんて、強くは言えない感じです。

でもでも、大した子は居るもので、それでも準備し、前へ進めようと、黙々と作業に取り組んでいるのです。

そんな子たちのやる気の源は何なのか?

それは、「これが誰かの役に立つなら・・・」なのです。

「この作業で誰かが助かるなら・・・」にも、「結果として実を結ぶのかわからない」が付きまとうのですが、それでも敢えてです。

私は、口先ばかりの人間も多い中、我が事ばかりの利己的な空気の中でも、あらん限りの想像力と楽観性を駆使して、「誰かの役に立つなら・・・」と、一肌脱いだ経験は、今後大きな意味を持つはずだと考えます。


一緒にフットサルを指導しているコーチたちと話した中にも、「ある程度うまい子が、さらに上達するきっかけは献身性じゃないですかね・・・」というものがありました。

他の子より上達して頭一つ抜け出すと、ほとんどの子が「口でプレー」するようになります。

周囲に「もっと走れや!」「何やってんねん!」「パス出せや!」と。

当然、一緒にプレーする子達の雰囲気は悪くなり、その結果、チームとしての力は落ちていきます。

そんな一目置かれる子達が、更にステップアップする時、確かに言動がはっきり変わってくるのです。

上手くいかない時、周囲のプレーを責めていたのが、誰よりもチームの為に走るようになり、仲間の失敗を「ドンマイ!」良いプレーを「ナイス!」と、励ましたり、褒めたりするようになってくるのです。

それを意識的に、継続的にできるその動機もまた、「誰かの役に立つ」のなら・・・、なんですよね。


「誰かの役に立つ」は、想像力の塊です。

「誰かの役に立つ」ことで、間違いなく自己肯定感は高まります。

「誰かの役に立つ」は、人生のテーマです。


とても抽象的ですが、「誰かの役に立つ」行動は、コロナ禍を乗り切るための、かなり有効な方法の1つではないでしょうか。

新型コロナウイルスに苦しんだ経験は、より深く人のことを理解し、思い通りに行かなくても、誰かを批判するのではなく、誰かのために力を発揮できるよう成長するきっかけでもある・・・と思いたいものです。

by Sarusen

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