指導員つれづれ

★第128話「1年生の親になる」★


この春、わが息子もようやく1年生になりました。

わらべの職員として、33回目の春を迎えつつ、はじめて1年生の親になる経験をしました。

まず、保育園までは必要なかった、文房具や制服、学習環境を整える作業。

週末の度に買い出しに行き、記名をし、並べる、整える、片付けるのですが、そこに繰り返し「説明」という作業が欠かせません。

初めての経験にイメージも持たせづらく、これは、なかなか根気のいる作業です。

それと並行して、学童への入所準備。

「保育園の卒園と同時に始まる新しい生活への備えは万全に」と、力んだ結果、とにかく時間と労力が必要でした。

そこで気付いたのが、仕事柄小学生の生活や成長のプロセスに、少しばかり詳しい私は、「どうも先回りしすぎる傾向が強い」ということでした。

何かしら、必要以上に厳しく予想を立て、ピリピリしているのです。

「子どもは大らかに育てたいですよね~」なんて言っていたのが嘘のように。(笑)

幸い息子は、入学にも入所にも、かなり前向きでした。

人並みに期待と不安が増幅し、不安定さを感じる場面もありましたが、彼なりの表現で、ドキドキとワクワクを伝えてくれ、日に日に1年生になるという実感を強めていったようでした。

コロナ禍ではありましたが、卒園式も入学式も催して頂き、晴れて入所してきました。

私は、なんとか平静を装ってはいましたが、ダメなんです。

息子が気になって仕方がない・・・のです。

「仲良く遊べているか」「周りに迷惑をかけていないか」「楽しく過ごせているか」「先生たちの言うことを聞いているか」と、用もないのに様子を見に行くこともありました。

視界の端に、彼の姿を捉えては、ホッとしたり、ドキッとしたり・・・。

親の力で良い子にしようと張り切り、ついつい口を出すことが、我が子の成長の機会を奪っているのではないかとさえ、感じる場面の連続でした。

ここまで干渉してしまっては、「自立と自律を身につけながら成長を」なんて到底無理だとわかっていながら、葛藤する日々が続きました。

私自身が、勝手な子ども像を思い描いて、足りない部分を補おうと、必死になり過ぎてしまっていました。

ある親御さんに、思いを打ち明けました。

「今まで職員として、親御さんに伝えていたことは何だったんでしょうか?全然その通りに私自身ができないんです。」すると、「さるせん、それは保育従事者あるあるかもしれません」と、言って頂けました。

「え?そうなんですか?」

その瞬間、ストーン!という音が聞こえたかのようでした。

私に足りていなかったのは、「はじめて1年生の親になった」という謙虚さだったようです。

未経験ながら、たくさんの子ども達・保護者を毎年迎え、知った気になっていましたが、いやいや、ガチガチに緊張していたのは、こちらだったと気づかされた一言でした。

コロナ禍は、子ども達だけでなく、親御さんの交流の機会も奪っています。

集まる事さえ、憚られる風潮もあります。

感染拡大防止のために、しっかりとルールは守りつつ、交流できることがどれだけ救いになるかと思います。

学童保育は、「共同の子育て」ができる数少ない場であることを、強調してきた私自身が気づかされたこと。

子どもの為だけでなく、迷い・戸惑う事の多い「親」にとっても、また大きな意味のあることだ等言うことでした。

改めて、たくさんの皆さんに助けていただきながら、たくさんのアドバイスを聞き、できることを積み重ねていけるような6年間を、この「わらべ学童」で過ごさせていただきますので、どうぞよろしくお願い致します。(笑) 

by Sarusen

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