指導員つれづれ

☆第35話「動機」☆


間もなく北京オリンピックが開幕します。

4年に一度のスポーツの世界的祭典とあって、みなさんにも大好きな種目があったり、注目選手がいたり、日本選手団の活躍を期待している方々もおられるかと思います。

深夜まで続くスポーツ番組では、この間はオリンピック特集が続き、選手たちのストイックな努力、肉体改造、または生い立ちなどを紹介してくれています。

そして結びは、選手たちの抱負です。

ある選手は活躍を誓い、またある選手は金メダルを約束し、「日本の誇りをかけて・・・」と熱く語っているのを見て、「動機」について考えました。

人々が意思を持って行動を起こすとき、その目的や行動の理由となる「動機」は、とても重要だと思います。

そんなに単純ではないとも思いますが、やはり「動機」が弱ければ、長い期間の継続は望めないでしょうし、本人が納得する結果もまた得られないのではないかと思うのです。

私が主宰しているサッカースクールでは、まずこの「動機」を重要視し、何とか見抜こうとします。

「仲良しの子がやっているから」や、「お母さんが行けって言うたから・・・」を押しのけて、「サッカーがうまくなりたいから!」が、最大の「動機」になるように、方向づけも行います。

例えそれが指導者のエゴだとしても、高いモチベーションを維持するためには、不可欠だと考えているからです。

その動機には、「コーチや周囲の子に認められたい! 親にほめられたい!」も、含まれていて良いように思います。

ただ、そのウエイトが大きくなってしまうと、絶えず認められたり褒められたりしないと頑張ることができなくなってしまう危険性があることは、押さえておく必要があるのではないでしょうか。

また、お手伝いや善意の行動の「動機」は、「認められたい、褒められたい」で始まり、「喜び」に高まることが大切ではないかと思います。

低学年の間は、善意の行動の後、「やってあげたのに、ありがとうって言ってくれへん!」と、怒りだす場面がよく見られます。(笑)

高学年が近づくにつれ、「ありがとうって言われて嬉しかった!」と実体験ができ、それが次の「動機」になった時、その子はすすんで人のために動けるきっかけをつかみ、周囲の様子を見ながら、自然に「思いやりを表現できる」ようになるのではないかと思うのです。

先日のサマーキャンプで、班長達の言動を見ていて気付いたのですが、さりげなく手助けをする子は、「ありがとう」を強要することは、まったくありませんでした。

手助けし、「できてよかったね♪」と、一緒に喜んであげる子は、強要せずとも、下の子に「ありがとう♪」と言われ、笑顔が返ってきていました。

何より、「必要に応じてやっただけ」であり、感謝を期待し、称賛を求めて行動したわけではないので、至ってシンプルに行動できていたのが驚きでした。

周囲の子や下の子達は、班長を選ぶ選挙の時、無意識かも感覚的なのかもしれませんが、どうやら優しさや思いやりも一つの基準として、班長を選出したようです。

高学年も様々で、指導員の方をチラチラ見ながらアピールしてくる場合や表面的な場合、仕方なくやっている場合は、継続もせず、相手にも真意が伝わりにくいため、その善意の行動が、逆にトラブルの原因になることもありました。

大人だって難しくて、いつもいつも心からの誠意をこめて、行動できるとは限りませんし、思わず了見も狭く、代価と代償を引き合いに出してしまうこともありますが、自己顕示欲や自己満足を「動機」とした場合より、「喜び」が動機となった方が、遥かに清々しく、受け手にとっても爽やかに映ることは間違いありません。

学童で過ごす時間が長く、たくさんの仲間と共に過ごす「わらべの夏」もいよいよ佳境です。

「喜び」が「動機」となるように、そっと手を差しのべながら、見守りたいと思います。 by さるせん

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